2010/12/28

1047名解雇撤回闘争の新たな全国運動を!

 国鉄分割・民営化で7628人の国鉄労働者にJRへの不採用通知が出された1987年2月16日から丸24年を迎えようとしています。国鉄分割・民営化に反対する組合に所属した者を狙い撃ちにした事実上の指名解雇でした。1047名の国鉄労働者が「解雇撤回・原職復帰」を求めて24年間闘ってきました。
 国鉄分割・民営化は、日本の労働運動を壊滅することを狙った戦後最大の攻撃です。1047名解雇撤回闘争は、この歴史的攻撃に対して24年間も闘ってきました。かつて「総労働vs 総資本の闘い」と言われた三池闘争も、最後は、指名解雇を受け入れました。しかし、1047名闘争は、あくまで民営化反対を貫いた1047名の労働者が24年間にわたって解雇撤回・原職復帰で闘ってきた戦後労働運動の金字塔です。
 1047名解雇撤回闘争をめぐる2010年4月9日の政治和解は、日本の労働運動の息の根を止めることを狙った攻撃です。「国鉄分割・民営化は正しかった」「国家的不当労働行為を不問に付す」「二度と解雇撤回は争わない」――こういうことを労働組合の側に認めさせようというのです。
 1047名闘争は日本の労働運動の未来をかけた闘いです。日本航空(JAL)における整理解雇の強行に見られるように一方的な資本救済の論理で労働者の首切りや賃下げがまかり通ろうとしています。民主党政権は、公務員の雇用保障も解体して、360万人の公務員労働者を国鉄型の選別・再雇用で大半を非正規雇用に突き落とそうとしています。労働者の生きていく権利を全否定して、資本の救済だけが一方的にまかり通る時代を許してはなりません。
 1047名闘争の終結を狙う政治和解に対して、2010年6月13日に、「国鉄分割・民営化に反対し、1047名解雇撤回闘争を支援する新たな全国運動」(国鉄闘争全国運動)が始まりました。「このままでは日本の労働運動はどうなってしまうのか」と強い危機感をもった人びとが全国運動に強い期待を寄せています。「この運動でもう一度、国鉄闘争を基軸に労働者の怒りや危機感を束ねて労働運動を甦らせよう」という運動として、多く人が展望を語っています。
 JRの労働現場では、検修・構内業務の全面外注化攻撃が再び動き出しています。JR東日本は、団交も開かず、現場には何も知らせないまま、水面下で外注化の準備をどんどん進めています。JRはすべての業務を、現場で働く労働者も安全責任も、すべて下請けに丸投げしようとしているのです。動労千葉の外注化阻止の闘いはますます重大な局面に入っています。
 動労千葉の外注化阻止の職場攻防を先頭に、国鉄1047名解雇撤回闘争の新たな発展と、全国運動の飛躍をかけて、2月16日、国鉄闘争全国運動の呼びかけで「2・16を忘れるな! 1047名解雇撤回2・16集会(仮)」をすみだ産業会館で開催します。多くのみなさんの参加を訴えます。


36万人の福島の子どもたちの命と健康を守るため、全国の力でみんなの拠り所となる診療所を建設しよう

福島診療所建設委員会

36万人の福島の子どもたちの命と健康を守るため、
全国の力でみんなの拠り所となる診療所を建設しよう

 子どもたちを放射能から守るたたかいに心を寄せるみなさんに、福島の地に命の拠り所となる診療所を建設する運動へのご支援、ご協力を心から訴えます。
 福島第1原発事故は、広島型原爆168発分もの1万5000テラベクレルのセシウム137がまき散らされるなど、チェルノブイリ原発事故をはるかに越える深刻な事態となっています。
 警戒区域、計画的避難区域などから避難している12万人、自主避難の6万人が家や生活の糧を奪われ、県内の36万人の子どもたちが生活し、遊び、学んでいる地域の75%が、放射線管理区域(毎時0.6マイクロシーベルト)を越える放射能汚染地域となっています。すでに原発周辺から避難した子どもたちの尿からセシウム134、137が検出されるなど、子どもたちの放射線被ばく、とりわけ内部被ばくは重大な問題です。一刻も早く、すべての子どもたちを放射能汚染地域から避難させる必要があります。
 しかし、政府が避難の権利とその補償を拒む中で、子どもたちの被ばくを心配しながらも、経済上のことなどで福島での生活を続けざるをえないのも労働者の現実です。山下俊一福島医大副学長などの「年間100㍉シーベルトまでは安全」、「内部被ばくは心配ない」などという言葉を、だれも信じてはいません。
 だからこそ福島の母親たちは、文科省に押しかけ、経産省前に座り込み、子どもたちの命と未来を守るためにたたかっています。それは9月19日の明治公園の6万人の反原発の行動となり、全国、全世界へと広がっています。すべての原発をただちに止め、福島の子どもたちの命を守る行動をともに起こしていきましょう。

 今、福島で切実に求められているのは、心と健康の拠り所となる診療所建設です。
 福島の子どもたちは放射能汚染による被ばくに日々さらされ、心身ともに息苦しい状況を半年以上も強いられています。お母さんたちの心配も、除染で取り除かれるわけではありませんし、子どもたちをモルモットのように扱う医療機関などとても信頼することはできません。今このときに、「ひょっとしたら放射能の影響では?」と不安になったとき、すぐに相談できる診療所が身近にあればどれほど心強いことでしょう。
 チェルノブイリの子どもたちには、甲状腺肥大とホルモン異常、貧血、頭痛、心肺機能の低下、免疫低下、加齢化の加速的進行、そしてガンの発症など、放射能被ばくによる様々な疾病が報告されています。

 これまでの近代医学の概念を越えた幅広い総合的な取り組みが必要となります。
 予防医学の原則に立ち、人間本来の自然治癒力を促す代替医療をも視野に入れた総合医療と、防護を念頭においた食卓、暮らしの見直しなど、いわば「生活革命」をも提案できる開かれた場が不可欠でしょう。
 診療所建設は決して簡単なことではありませんが、全国のみなさんの力をひとつにできれば絶対に実現できます。

 実際に、広島、長崎の被爆者は、医療も生活も切り捨てられるなかで「人間をかえせ」の声をあげ、たたかうことで自らの命を守り、医療を取り戻してきました。
 広島市の高陽第一診療所がその一つです。1970年、広島で二十歳前後の青年が相次いで白血病を発症しました。彼らは被爆者の父母をもつ被爆二世でした。強い衝撃を受けた被爆二世の青年たちは、自らの力で拠り所となる医療施設をつくろう、と運動を開始し、1972年にプレハブ建ての高陽第一診療所が建設されます。
 この運動をともに支えた被団協の故小西ノブ子さんは、高陽第一診療所を「被爆者の心の窓」と語られています。同じく協力された大江健三郎さんは、「そこには、あきらかな、実践的なるものと、教育的なるものとの、『生命、生き抜くこと』をめざしての融合がみられた。」と、当時の新聞に著しています。それから40年、高陽第一診療所は多くの人々の生き抜くことの拠り所となってきました。
 まさに生き抜くために、このような診療所が今の福島には必要です。全国の医師、医療関係者をはじめ、全国の力を合わせて必ず実現しましょう。
 未来をつくる子どもたちが、被ばくを心配して生きなければならないことなど、絶対にあってはなりません。安心して集い、何でも相談できる診療所をつくることは、みんなの団結で命を守り、医療を取り戻すたたかいであり、すべての原発をただちに停止、廃炉にし、原発も核もない社会をつくる運動そのものです。

 福島の子どもたちの命と心の拠り所となる診療所建設のために、基金運動へのご協力はじめ、多大なご支援などをいただきますよう重ねて心から訴えます。

2011年12月1日

わたしたちが呼びかけます
●福島から
 清野 和彦(元福島県教職員組合委員長)
 佐藤 幸子(NPO法人理事長)
 椎名千恵子(未来を孕む女たちのとつきとおかのテント村行動)
 橋本 光一(国労郡山工場支部書記長)
 市川 潤子(ふくしま合同労組委員長)
 鈴木光一郎(酪農家、ネットワーク「ゆい」福島)
 佐々木信夫(桜の聖母短期大学名誉教授)
 渡辺  馨(福島県労働組合交流センター代表)
●全国の医師から
 吉田 良順(広島高陽第一診療所所長)
 杉井 吉彦(本町クリニック院長)
 松江 寛人(がん総合相談センター所長)
 吉本 哲郎(熊手町クリニック院長)
 末光 道正(八尾北医療センター院長、八尾市議会議員)
 布施 幸彦(館林厚生病院医師)

URL: http://www.clinic-fukushima.jp/

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