2012/05/04

労働運動ニュース第23号を発行しました!

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ちば合同労組・A君を取り戻しました!

初めまして!ちば合同労働組合モリタメディック分会です。

4月12日早朝、突然ですが、分会員のひとりが不当逮捕されました!虚偽の住所を取得した罪…。でもこれ、完全にデッチ上げだったんです。彼は親元から自立するために、手取り10万ちょっとの賃金で少しずつ引越しの準備を進めてました。引越し先のアパートを借りてから、家財道具などをそろえて実際に移り住むまで思いのほか時間がかかってしまった。それが犯罪だっていうんです。冗談キツイぜ~。
彼が拘留中受けてきた拷問とも言うべき取り調べの中で検事は、容疑とは全く関係ない労働組合のことや職場のことを執拗に聞き出そうとしたり、家族にもひどい圧力をかけて彼を脅したりしてきました。結果的に、罪状の中身なんてのは全く関係なく、彼が誇りをかけてやってきた職場での労働運動をつぶすためのデッチ上げ逮捕だったってことがはっきり分かった訳なんですが。
その彼が、4月27日(金)に長い完黙の闘いを経て帰ってきました!同日夜、奪還勝利集会を行いました。
まず最初に、何よりも感激したのは、彼に会う前に電話で話したとき、「Bさんたちは元気ですか」と、職場の同僚のことを心配して聞いてきてくれたことです。キツイ取り調べに耐えるだけでも大変だっただろうに、仲間の身を案じていた彼。これまで、職場闘争にどれだけ本気だったか。そして、今回の逮捕でどれだけ強くなって戻ってきたか…思い知らされました。さすが、信じてついてきた同志だと、胸がいっぱいになりました。
会場に着くと、逮捕前より少し痩せてはいたものの、元気でキラキラとした笑顔の彼がそこにいました。普段から、仕事中も彼と他愛ないおしゃべりをしたりしていて、拘留中はずっとそれもなくて…彼の顔を見てたまらなくなった自分は、気付いたら彼に飛びついていました。
「拷問から帰ってきましたよ~!」と、来る人来る人に声をかける彼。その表情からもやっぱり、彼が今までよりひと回りもふた回りも成長し、強くなって戻ってきたことが伝わってきました。集会では、まず本人から勝利報告がありました。全国からの檄文でがんばれました、ありがとう、と話す彼。成長したんだけれども、決して奢り高ぶることなく謙虚な彼を見ると、いい意味で「ああ、変わってないところもあるんだな」なんて思いました。その後は、家族や救対で動いてくれた仲間、千葉の仲間などが発言しました。彼の帰還を心から喜んで涙する仲間たち。そのほとんどが、自分の身近なひとに彼の逮捕の話を暴露したことで、こんな本末転倒な社会への怒りを共有するきっかけにできたんだ、と話してくれるんです。こんなに嬉しいことは、本当に生まれて初めてです。
色んな形で支えてくださった全国のみなさん、本当にありがとう!そして、この記事で自分たちのような若者がいると知った方、お会いできたときはぜひ声をかけてください!話をしましょう。お互いのこと、職場のこと、今の社会のこと。そうすることが、こんなおかしな逮捕が許されるような社会を変えていく…未来をつくっていく、大きな一歩になると思うから!繋がり、共に生きて行きましょう!

 

労働運動ニュース第23号へのリンク

36万人の福島の子どもたちの命と健康を守るため、全国の力でみんなの拠り所となる診療所を建設しよう

福島診療所建設委員会

36万人の福島の子どもたちの命と健康を守るため、
全国の力でみんなの拠り所となる診療所を建設しよう

 子どもたちを放射能から守るたたかいに心を寄せるみなさんに、福島の地に命の拠り所となる診療所を建設する運動へのご支援、ご協力を心から訴えます。
 福島第1原発事故は、広島型原爆168発分もの1万5000テラベクレルのセシウム137がまき散らされるなど、チェルノブイリ原発事故をはるかに越える深刻な事態となっています。
 警戒区域、計画的避難区域などから避難している12万人、自主避難の6万人が家や生活の糧を奪われ、県内の36万人の子どもたちが生活し、遊び、学んでいる地域の75%が、放射線管理区域(毎時0.6マイクロシーベルト)を越える放射能汚染地域となっています。すでに原発周辺から避難した子どもたちの尿からセシウム134、137が検出されるなど、子どもたちの放射線被ばく、とりわけ内部被ばくは重大な問題です。一刻も早く、すべての子どもたちを放射能汚染地域から避難させる必要があります。
 しかし、政府が避難の権利とその補償を拒む中で、子どもたちの被ばくを心配しながらも、経済上のことなどで福島での生活を続けざるをえないのも労働者の現実です。山下俊一福島医大副学長などの「年間100㍉シーベルトまでは安全」、「内部被ばくは心配ない」などという言葉を、だれも信じてはいません。
 だからこそ福島の母親たちは、文科省に押しかけ、経産省前に座り込み、子どもたちの命と未来を守るためにたたかっています。それは9月19日の明治公園の6万人の反原発の行動となり、全国、全世界へと広がっています。すべての原発をただちに止め、福島の子どもたちの命を守る行動をともに起こしていきましょう。

 今、福島で切実に求められているのは、心と健康の拠り所となる診療所建設です。
 福島の子どもたちは放射能汚染による被ばくに日々さらされ、心身ともに息苦しい状況を半年以上も強いられています。お母さんたちの心配も、除染で取り除かれるわけではありませんし、子どもたちをモルモットのように扱う医療機関などとても信頼することはできません。今このときに、「ひょっとしたら放射能の影響では?」と不安になったとき、すぐに相談できる診療所が身近にあればどれほど心強いことでしょう。
 チェルノブイリの子どもたちには、甲状腺肥大とホルモン異常、貧血、頭痛、心肺機能の低下、免疫低下、加齢化の加速的進行、そしてガンの発症など、放射能被ばくによる様々な疾病が報告されています。

 これまでの近代医学の概念を越えた幅広い総合的な取り組みが必要となります。
 予防医学の原則に立ち、人間本来の自然治癒力を促す代替医療をも視野に入れた総合医療と、防護を念頭においた食卓、暮らしの見直しなど、いわば「生活革命」をも提案できる開かれた場が不可欠でしょう。
 診療所建設は決して簡単なことではありませんが、全国のみなさんの力をひとつにできれば絶対に実現できます。

 実際に、広島、長崎の被爆者は、医療も生活も切り捨てられるなかで「人間をかえせ」の声をあげ、たたかうことで自らの命を守り、医療を取り戻してきました。
 広島市の高陽第一診療所がその一つです。1970年、広島で二十歳前後の青年が相次いで白血病を発症しました。彼らは被爆者の父母をもつ被爆二世でした。強い衝撃を受けた被爆二世の青年たちは、自らの力で拠り所となる医療施設をつくろう、と運動を開始し、1972年にプレハブ建ての高陽第一診療所が建設されます。
 この運動をともに支えた被団協の故小西ノブ子さんは、高陽第一診療所を「被爆者の心の窓」と語られています。同じく協力された大江健三郎さんは、「そこには、あきらかな、実践的なるものと、教育的なるものとの、『生命、生き抜くこと』をめざしての融合がみられた。」と、当時の新聞に著しています。それから40年、高陽第一診療所は多くの人々の生き抜くことの拠り所となってきました。
 まさに生き抜くために、このような診療所が今の福島には必要です。全国の医師、医療関係者をはじめ、全国の力を合わせて必ず実現しましょう。
 未来をつくる子どもたちが、被ばくを心配して生きなければならないことなど、絶対にあってはなりません。安心して集い、何でも相談できる診療所をつくることは、みんなの団結で命を守り、医療を取り戻すたたかいであり、すべての原発をただちに停止、廃炉にし、原発も核もない社会をつくる運動そのものです。

 福島の子どもたちの命と心の拠り所となる診療所建設のために、基金運動へのご協力はじめ、多大なご支援などをいただきますよう重ねて心から訴えます。

2011年12月1日

わたしたちが呼びかけます
●福島から
 清野 和彦(元福島県教職員組合委員長)
 佐藤 幸子(NPO法人理事長)
 椎名千恵子(未来を孕む女たちのとつきとおかのテント村行動)
 橋本 光一(国労郡山工場支部書記長)
 市川 潤子(ふくしま合同労組委員長)
 鈴木光一郎(酪農家、ネットワーク「ゆい」福島)
 佐々木信夫(桜の聖母短期大学名誉教授)
 渡辺  馨(福島県労働組合交流センター代表)
●全国の医師から
 吉田 良順(広島高陽第一診療所所長)
 杉井 吉彦(本町クリニック院長)
 松江 寛人(がん総合相談センター所長)
 吉本 哲郎(熊手町クリニック院長)
 末光 道正(八尾北医療センター院長、八尾市議会議員)
 布施 幸彦(館林厚生病院医師)

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