2011/03/29

被災地仙台から寄せられた闘争報告

みやぎ連帯ユニオン 書記長  鈴木 光年 

 全国の皆さん。多くの支援物資と激励ありがとうございます。
おかげさまで今日も生き、たたかう事ができます。

私は仙台駅前のホテルで、ビルメンテナンス会社から派遣されて、タワーパーキング+警備の仕事をしているのですが、地震当日は職場で被災しました。倒壊か ら逃れるために、ビル街のいたるところから人が飛び出し、あたりは騒然となりました。私のホテルも壁や天井からコンクリートの塊が剥がれ落ち、階段から転 げながら人が逃げてきます、あっという間に戦場です。幸運なことに死者は出ませんでしたが、ホールには毛布一枚の客が溢れ、外には暗闇の中、帰宅難民の行 列が絶えることなく続いていました。瓦礫の中で同僚と励ましあいながら、いつでも逃げられるように靴を履いて寝ました。それでも中心部はまだ幸せです。沿 岸部、原発周辺の惨状には、想像を超える過酷さがあります。受け止められない現実があります。
数日のうちに、ホテルは3月での閉鎖が決まりまし た。ビルのテナントの何件かは営業する意思を示しているため、5月までは警備と設備の労働者には仕事があります。しかし、ベットメークと清掃の労働者は自 宅待機を命じられ、次の現場も定かではありません。そもそも仙台空港事業所をはじめ、稼動していない現場も多いというのに。残された人間も5月以降はどう なるかは分かりません。普段安い給料で働かされ、いざとなったら切り捨てるのでしょうか。資本と労働者とは非和解という現実を容赦なく突きつけられていま す。
泣きっ面に蜂といったところで、アパートも倒壊するからと立ち退きを迫られています。職場の仲間は洪水で家がなくなりました。この怒りとストレスをどうしたらいいのか。
絶対に許すことができないのは、新自由主義と原発です。新自由主義は、生活の基本たる農漁業を破壊し、公共の仕事を担う労働者を金にならないと軽んじて、民営化・外注化を進めてきました。その結果がここまで拡大した被災の現実じゃないですか。
新自由主義が進めてきた利益優先の仕事、社会構造がいざという時にどれだけ役立たずかハッキリしました。逆にTPPだなんだと聞こえのいい言葉で軽んじら れ、資本につけこまれ犠牲にされてきた農家の方、漁師、八百屋をはじめとする商店、現場の労働者の献身的な努力は、どれだけ被災地の私たちの命を救ってく れたでしょうか。被災の現場で人の温かさを知りました。
政府・資本家連中はこの期に及んで、いかに自分の財産を守るか、いかに責任を逃れるかし か考えていません。震災解雇、休業、立ち退き、放射能。どこまでも私たちを犠牲にしてくるでしょう。しかし、私たちは負けません。この現実に肩を組んで立 ち、生き抜いてみせます。現場から社会の構造を作り変えるたたかいに立ちます。国鉄解雇撤回闘争に学び、労働組合の旗のもと、一人の仲間も見捨てず、団結 して共に生きる革命に立ちます。
全国・世界の仲間の皆さん。共にたたかいましょう。

36万人の福島の子どもたちの命と健康を守るため、全国の力でみんなの拠り所となる診療所を建設しよう

福島診療所建設委員会

36万人の福島の子どもたちの命と健康を守るため、
全国の力でみんなの拠り所となる診療所を建設しよう

 子どもたちを放射能から守るたたかいに心を寄せるみなさんに、福島の地に命の拠り所となる診療所を建設する運動へのご支援、ご協力を心から訴えます。
 福島第1原発事故は、広島型原爆168発分もの1万5000テラベクレルのセシウム137がまき散らされるなど、チェルノブイリ原発事故をはるかに越える深刻な事態となっています。
 警戒区域、計画的避難区域などから避難している12万人、自主避難の6万人が家や生活の糧を奪われ、県内の36万人の子どもたちが生活し、遊び、学んでいる地域の75%が、放射線管理区域(毎時0.6マイクロシーベルト)を越える放射能汚染地域となっています。すでに原発周辺から避難した子どもたちの尿からセシウム134、137が検出されるなど、子どもたちの放射線被ばく、とりわけ内部被ばくは重大な問題です。一刻も早く、すべての子どもたちを放射能汚染地域から避難させる必要があります。
 しかし、政府が避難の権利とその補償を拒む中で、子どもたちの被ばくを心配しながらも、経済上のことなどで福島での生活を続けざるをえないのも労働者の現実です。山下俊一福島医大副学長などの「年間100㍉シーベルトまでは安全」、「内部被ばくは心配ない」などという言葉を、だれも信じてはいません。
 だからこそ福島の母親たちは、文科省に押しかけ、経産省前に座り込み、子どもたちの命と未来を守るためにたたかっています。それは9月19日の明治公園の6万人の反原発の行動となり、全国、全世界へと広がっています。すべての原発をただちに止め、福島の子どもたちの命を守る行動をともに起こしていきましょう。

 今、福島で切実に求められているのは、心と健康の拠り所となる診療所建設です。
 福島の子どもたちは放射能汚染による被ばくに日々さらされ、心身ともに息苦しい状況を半年以上も強いられています。お母さんたちの心配も、除染で取り除かれるわけではありませんし、子どもたちをモルモットのように扱う医療機関などとても信頼することはできません。今このときに、「ひょっとしたら放射能の影響では?」と不安になったとき、すぐに相談できる診療所が身近にあればどれほど心強いことでしょう。
 チェルノブイリの子どもたちには、甲状腺肥大とホルモン異常、貧血、頭痛、心肺機能の低下、免疫低下、加齢化の加速的進行、そしてガンの発症など、放射能被ばくによる様々な疾病が報告されています。

 これまでの近代医学の概念を越えた幅広い総合的な取り組みが必要となります。
 予防医学の原則に立ち、人間本来の自然治癒力を促す代替医療をも視野に入れた総合医療と、防護を念頭においた食卓、暮らしの見直しなど、いわば「生活革命」をも提案できる開かれた場が不可欠でしょう。
 診療所建設は決して簡単なことではありませんが、全国のみなさんの力をひとつにできれば絶対に実現できます。

 実際に、広島、長崎の被爆者は、医療も生活も切り捨てられるなかで「人間をかえせ」の声をあげ、たたかうことで自らの命を守り、医療を取り戻してきました。
 広島市の高陽第一診療所がその一つです。1970年、広島で二十歳前後の青年が相次いで白血病を発症しました。彼らは被爆者の父母をもつ被爆二世でした。強い衝撃を受けた被爆二世の青年たちは、自らの力で拠り所となる医療施設をつくろう、と運動を開始し、1972年にプレハブ建ての高陽第一診療所が建設されます。
 この運動をともに支えた被団協の故小西ノブ子さんは、高陽第一診療所を「被爆者の心の窓」と語られています。同じく協力された大江健三郎さんは、「そこには、あきらかな、実践的なるものと、教育的なるものとの、『生命、生き抜くこと』をめざしての融合がみられた。」と、当時の新聞に著しています。それから40年、高陽第一診療所は多くの人々の生き抜くことの拠り所となってきました。
 まさに生き抜くために、このような診療所が今の福島には必要です。全国の医師、医療関係者をはじめ、全国の力を合わせて必ず実現しましょう。
 未来をつくる子どもたちが、被ばくを心配して生きなければならないことなど、絶対にあってはなりません。安心して集い、何でも相談できる診療所をつくることは、みんなの団結で命を守り、医療を取り戻すたたかいであり、すべての原発をただちに停止、廃炉にし、原発も核もない社会をつくる運動そのものです。

 福島の子どもたちの命と心の拠り所となる診療所建設のために、基金運動へのご協力はじめ、多大なご支援などをいただきますよう重ねて心から訴えます。

2011年12月1日

わたしたちが呼びかけます
●福島から
 清野 和彦(元福島県教職員組合委員長)
 佐藤 幸子(NPO法人理事長)
 椎名千恵子(未来を孕む女たちのとつきとおかのテント村行動)
 橋本 光一(国労郡山工場支部書記長)
 市川 潤子(ふくしま合同労組委員長)
 鈴木光一郎(酪農家、ネットワーク「ゆい」福島)
 佐々木信夫(桜の聖母短期大学名誉教授)
 渡辺  馨(福島県労働組合交流センター代表)
●全国の医師から
 吉田 良順(広島高陽第一診療所所長)
 杉井 吉彦(本町クリニック院長)
 松江 寛人(がん総合相談センター所長)
 吉本 哲郎(熊手町クリニック院長)
 末光 道正(八尾北医療センター院長、八尾市議会議員)
 布施 幸彦(館林厚生病院医師)

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