2013/10/25

合同・一般労働組合全国協議会事務局通信(2013・10・22 号外)

合同・一般労働組合全国協議会「小竹運輸グループ労働組合」の闘い

10月21日水戸地裁下妻支部に対し、二つの裁判を提訴
「過労死の損害賠償」裁判と仕事はずし・配車差別に基づく賃金の未払い分を支払えという「仮処分」裁判

10月21日正午より茨城県庁前で小竹運輸グループ労働組合、国鉄水戸動力車労働組合と合同・一般労働組合全国協議会に結集する茨城地域連帯労組、一般合同労組さいたまユニオン、東京西部ユニオン、東京東部ユニオン、全国協事務局の仲間が十数名結集し、街宣を行う。

13時より茨城県庁4階の県庁記者クラブで記者会見が開かれた。小竹運輸グループの組合員全員8名(今井さんの遺族・真由美さんを含む)と藤田城治弁護士が記者会見に臨み、支援の仲間が記者席を取り囲んで見守った。記者席の真ん中にはNHK水戸支局のテレビカメラが据えられ、産経新聞、朝日新聞、読売新聞、東京新聞、TBS,NHKなど多数の記者が出席し、突っ込んだ質問が投げかけられた。記者会見の進行は茨城地域連帯労組の岩沢さんが担い、記者側の担当責任は産経新聞社の記者が務めた。

冒頭小竹運輸グループ労働組合執行委員長の中村信幸さんが過労死事件の背景等について配布された資料に基づいて報告を行う。中村委員長が述べた報告の要旨は以下の通り。

2012年11月30日午前に今井康司さんが会社敷地内の車庫で作業中に死亡した。会社は死亡事件であるにもかかわらず、対応は鈍く、家族に対し現在に至るも何の謝罪もない。会社は過労死ではなく、病死として処理しようとした。

当時今井康司さんは組合員ではなかったが、組合として過労死問題として取り組むことを決定した。すると会社は過労死問題の先頭に立っていた、高山組合員に言いがかりをつけて「1週間の出勤停止」という重い徴戒処分を課してきた。過労死問題を組合として闘ったことに対する会社からの攻撃である。2013年1月の事だった。

3月15日、労働基準監督署へ今井さんの過労死問題の関係書類を完成、提出した。5月1 6日、労働基準監督署から遺族に対する一時金と遺族年金の支給開始決定が為された。過労死が2ヶ月で認定され、年金等が支給されるのは異例の速さである。同時に遺族は組合と協力して 過労死事件損害賠償訴訟の準備に入った。9月3日には水戸地裁下妻支部が会社に証拠保全の立ち入り調査に入っている。

過労死の背後にあるのは組合員に対する仕事はずし、配車差別であり、それの対局で非組合員に対して過密労働・過重労働が課されていた。

過労死と組合つぶし・配車差別、賃下げ攻撃は一体

中村委員長の報告の後で藤田城治弁護士が発言し、過労死の損害賠償の提訴と賃金差別・未払いの仮処分は相互に関連していると述べた。

遺族であり、組合員にもなった今井真由美さんは「夫は朝3時半とか5時半に出かけてそのまま帰ってこないくらいに仕事をしていました。夫は以前働いていた会社と比べるとひどい働かせ方をすると話していました。夫が亡くなった時連絡してくれたのはお医者さんで心臓に刺激を与えていますがこれ以上やると骨が折れます。これ以上は無理ですと言われました」と涙をぬぐいながらもしっかりと今井さんが亡くなられた時の状況を話した。記者から「この裁判で何を訴えたいのですか」という質問に対しては「夫と同じような人が出ないようにしていただきたい。労働時間をきちんと守るような働かせ方をしていただきたい」と述べた。

記者に配られた今井さんの「運転手当明細票」についての説明を高山組合員が行った。この明細表に残業の実態が明らかになっている。例えば2012年9月16日~10月15日までの残業時間は会社が作成した「運転手当明細票」では残業時間が合計67・5時間となっている。しかし中村委員長、高山組合員らが今井さんのタコグラフから解析したところ191・5時間の残業時間になるのだ。会社は長距離運転の場合は長距離手当がついているという理由で9月21日の「古川市発―仙台市着」の日には残業時間を1分もつけていない。しかし、タコブラフからは12・5時間残業したことが明らかだ。10月12日は「千葉市発―練馬区着」でこれもタコグラフは15時間の残業を示しているという。上記2日の例を挙げただけだが他にもたくさん同様の記録が残っていて191・5時間になる。

藤田弁護士によれば今回の損害賠償の提訴では会社の「運転手当明細票」に基づく資料で行っていて、タコグラフの解析に基づいてはいない。会社の「運転手当明細票」だけでも過労死ラインは優に超えている。しかし今後分析を進め、精査して追加申し立てを行うとのことである。

中村委員長を始め他の組合員から次々と過重労働の実態が暴露された。ある組合員は「運転していて目が空いているけど脳が寝ているときがある。眠らないように必死で頑張っているときはまだいい。だけどいつの間にか知らないうちに眠ってしまうことがある。運転手ならそういう経験をしている。これは恐ろしいことだ」「今井さんは早朝から働いて夕方荷を下ろしてまた夜中に長距離の運転をさせられていた。そういう配車を会社がやっていた。そこに問題がある。」「事故を起こしたら運転手のせいにされる。居眠り運転して事故を起こした運転手は首にされて終わりだ。3月、名神で居眠りをしていて追突事故を起こした運転手がいる。国道での事故ではやはり居眠りで田んぼに鉄骨がばらまかれた。運転手は首にされた。だが会社は一切責任を取ろうとしない」と過重労働の実態が明らかにされた。

植田書記長はJR北海道の事故を例に出して「あれも現場労働者のせいにされているけどそうではないでしょう。会社の問題だ」と訴えた。

中村委員長は「会社は組合員と会社に批判的な人間だけを残して車も人も皆別のグループ会社に転籍させた。これは過労死の提訴が小竹運輸に対して行われているので、小竹本体を無くしてしまい過労死の責任を逃れようとしている」と過労死と組合つぶし、仕事はずしの賃金差別は一体であることを強調した。

9・22に小竹運輸グループ労組が結成され、合同・一般労働組合全国協議会に結集することにより本当の闘いが始まった。小竹資本に対する反転攻勢の闘いが開始されたのだ。団体交渉で、裁判で、街宣でそしてストライキで反撃するときがきた。11・3に総力決起しよう!

合同・一般労組全国協議会サイトから転載

36万人の福島の子どもたちの命と健康を守るため、全国の力でみんなの拠り所となる診療所を建設しよう

福島診療所建設委員会

36万人の福島の子どもたちの命と健康を守るため、
全国の力でみんなの拠り所となる診療所を建設しよう

 子どもたちを放射能から守るたたかいに心を寄せるみなさんに、福島の地に命の拠り所となる診療所を建設する運動へのご支援、ご協力を心から訴えます。
 福島第1原発事故は、広島型原爆168発分もの1万5000テラベクレルのセシウム137がまき散らされるなど、チェルノブイリ原発事故をはるかに越える深刻な事態となっています。
 警戒区域、計画的避難区域などから避難している12万人、自主避難の6万人が家や生活の糧を奪われ、県内の36万人の子どもたちが生活し、遊び、学んでいる地域の75%が、放射線管理区域(毎時0.6マイクロシーベルト)を越える放射能汚染地域となっています。すでに原発周辺から避難した子どもたちの尿からセシウム134、137が検出されるなど、子どもたちの放射線被ばく、とりわけ内部被ばくは重大な問題です。一刻も早く、すべての子どもたちを放射能汚染地域から避難させる必要があります。
 しかし、政府が避難の権利とその補償を拒む中で、子どもたちの被ばくを心配しながらも、経済上のことなどで福島での生活を続けざるをえないのも労働者の現実です。山下俊一福島医大副学長などの「年間100㍉シーベルトまでは安全」、「内部被ばくは心配ない」などという言葉を、だれも信じてはいません。
 だからこそ福島の母親たちは、文科省に押しかけ、経産省前に座り込み、子どもたちの命と未来を守るためにたたかっています。それは9月19日の明治公園の6万人の反原発の行動となり、全国、全世界へと広がっています。すべての原発をただちに止め、福島の子どもたちの命を守る行動をともに起こしていきましょう。

 今、福島で切実に求められているのは、心と健康の拠り所となる診療所建設です。
 福島の子どもたちは放射能汚染による被ばくに日々さらされ、心身ともに息苦しい状況を半年以上も強いられています。お母さんたちの心配も、除染で取り除かれるわけではありませんし、子どもたちをモルモットのように扱う医療機関などとても信頼することはできません。今このときに、「ひょっとしたら放射能の影響では?」と不安になったとき、すぐに相談できる診療所が身近にあればどれほど心強いことでしょう。
 チェルノブイリの子どもたちには、甲状腺肥大とホルモン異常、貧血、頭痛、心肺機能の低下、免疫低下、加齢化の加速的進行、そしてガンの発症など、放射能被ばくによる様々な疾病が報告されています。

 これまでの近代医学の概念を越えた幅広い総合的な取り組みが必要となります。
 予防医学の原則に立ち、人間本来の自然治癒力を促す代替医療をも視野に入れた総合医療と、防護を念頭においた食卓、暮らしの見直しなど、いわば「生活革命」をも提案できる開かれた場が不可欠でしょう。
 診療所建設は決して簡単なことではありませんが、全国のみなさんの力をひとつにできれば絶対に実現できます。

 実際に、広島、長崎の被爆者は、医療も生活も切り捨てられるなかで「人間をかえせ」の声をあげ、たたかうことで自らの命を守り、医療を取り戻してきました。
 広島市の高陽第一診療所がその一つです。1970年、広島で二十歳前後の青年が相次いで白血病を発症しました。彼らは被爆者の父母をもつ被爆二世でした。強い衝撃を受けた被爆二世の青年たちは、自らの力で拠り所となる医療施設をつくろう、と運動を開始し、1972年にプレハブ建ての高陽第一診療所が建設されます。
 この運動をともに支えた被団協の故小西ノブ子さんは、高陽第一診療所を「被爆者の心の窓」と語られています。同じく協力された大江健三郎さんは、「そこには、あきらかな、実践的なるものと、教育的なるものとの、『生命、生き抜くこと』をめざしての融合がみられた。」と、当時の新聞に著しています。それから40年、高陽第一診療所は多くの人々の生き抜くことの拠り所となってきました。
 まさに生き抜くために、このような診療所が今の福島には必要です。全国の医師、医療関係者をはじめ、全国の力を合わせて必ず実現しましょう。
 未来をつくる子どもたちが、被ばくを心配して生きなければならないことなど、絶対にあってはなりません。安心して集い、何でも相談できる診療所をつくることは、みんなの団結で命を守り、医療を取り戻すたたかいであり、すべての原発をただちに停止、廃炉にし、原発も核もない社会をつくる運動そのものです。

 福島の子どもたちの命と心の拠り所となる診療所建設のために、基金運動へのご協力はじめ、多大なご支援などをいただきますよう重ねて心から訴えます。

2011年12月1日

わたしたちが呼びかけます
●福島から
 清野 和彦(元福島県教職員組合委員長)
 佐藤 幸子(NPO法人理事長)
 椎名千恵子(未来を孕む女たちのとつきとおかのテント村行動)
 橋本 光一(国労郡山工場支部書記長)
 市川 潤子(ふくしま合同労組委員長)
 鈴木光一郎(酪農家、ネットワーク「ゆい」福島)
 佐々木信夫(桜の聖母短期大学名誉教授)
 渡辺  馨(福島県労働組合交流センター代表)
●全国の医師から
 吉田 良順(広島高陽第一診療所所長)
 杉井 吉彦(本町クリニック院長)
 松江 寛人(がん総合相談センター所長)
 吉本 哲郎(熊手町クリニック院長)
 末光 道正(八尾北医療センター院長、八尾市議会議員)
 布施 幸彦(館林厚生病院医師)

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